世界の教会 · 2026年9月26日
カトリック教会における信仰の実践と相互理解について
カトリック教会において、たとえ互いにパリサイ人のように見えたとしても、共に教会を構成し続けるという考えが示されました。
福音書の中で、イエスはパリサイ人に対して激しい批判を展開することがあります。一部の人々は、イエスがそのような振る舞いをしたのであれば自分たちも同様に振る舞ってよいという誤った考えを教会内で持っています。しかし、イエスの批判は、細部にこだわりすぎて事の本質を見失った人々に対するものでした。心からの回心に基づかない形式的な外見は無意味であると強調されています。
神と隣人への愛、奉仕、正義という心からの回心があれば、日常生活のあらゆる活動を典礼のように生きようとするパリサイ人の願いは価値あるものとなります。食事の準備や運転、店員への接し方など、日々の行動は神と隣人に仕える機会であると考えられます。カトリックであることは、単に祈りやミサへの参列、教義を信じることだけではなく、家族のために料理を作り、不慣れな運転手に配慮することなど、日常生活の中での実践を含みます。
また、異なる意見を持つ人々とうまく付き合うこともカトリックであることの一部です。しかし、教会内には教会指導者を激しく非難したり、前教皇に対して不適切で鋭い批判を向けたりする人々が存在しています。自分自身の正しさに閉じこもることは、福音書にある、器の外側だけを綺麗にして内側を汚れたままにする人々に似ています。教会の中にそのような人々がいたとしても、それでも共に教会を形成し続けることが重要であるとされています。